9.身元判明
1995年1月
SSさん「マヨちゃん、あなたの生まれ故郷が分かったわよ。北海道門別の新井さんという人が生産者だって。指導員のYさんが教えてくれたわ。三重に居た時にも所長さんに聞いていたんだけれど、もっとはっきり分かったわ。今年の夏には、北海道に行ってみようと計画しているのよ。お父さんがミヤシロオー、お母さんがミヤシロパークだって。どんなお馬さんかしらねえ...」
何だ、今頃知ったの?僕、教えてなかったっけ?
北海道に行くの?いいなあ、僕もつれてってヨ。
1995年2月26日
またまた誕生日がやってきました。今年で僕は7歳になったよ。SSさん、SKさんは、今年もまた休みを取って、わざわざ僕に会いに来てくれた。恒例の記念写真を撮りました。
所長さん、スタッフで僕を良く可愛がってくれる人、もちろん担当指導員のYY君も一緒だよ。これは僕の宝物だね。でも、SKさんは撮った写真を全然僕に見せてくれないから、どんなに男前に写っているのか分からないけど...
去年以来、二人とも障碍練習を始めた事は、前の章に書いたけど、最近は僕とも一緒に跳んでいるんだ。今日は、平日の誕生日ということで、クラブにも人があまりいない。絶好の練習環境だ。馬場は、昨日の雨が降って大分湿っている。でも、湿って柔らかいほうが、落ちても痛くないし、ケガもしないんだよ。まあ、落ち方にもよるけどね。
落馬といえば、障碍なんかやってる人はやっぱり、よく落ちてるようだね。何でも、頭から落ちて、一瞬記憶喪失になったり、大怪我したり。乗馬クラブの古株の人は大抵、1回は骨折とかしてるんじゃないかな。落馬して、仕事ができなくなった人なんてのもいるみたいだし。骨折とか、長期入院とか、寝込んだとか、そういうのが自慢話になったりしているらしいね。やっぱり、危険は危険だよね。60歳を超えたお年寄りの、新入会員さんなんかを見ると危なっかしくて、心配しちゃうよ。みんなご自分を大事にねと思うよ。
さて、障碍練習だ。でも、この写真を見てよ。二人ともへっぴり腰でやんなっちゃう。折角、僕が跳ぼうとしても、上で手綱を引っ張るから邪魔になっちゃう。
障碍を跳ぶ時は騎手は軽く前傾するんだけど、二人とも前傾のタイミングが悪いもんだから、僕の上でがちゃがちゃ暴れて、こっちが調子狂っちゃう。もっと、会有馬で練習してからだなあ。100年早いよ(笑)
会有馬はいろんな人が乗っているから、その人に合わせる事が出来るけど、僕は僕流を貫くからね。乗ってる人になんか合わせないよ。甘い!
でも、リンゴを持ってきてくれたから許してあげようかな。
1995年8月末
とうとう、SKさんとSSさんは北海道に行っちゃったよ。僕をおいて...先週、そう言ってた。今頃は懐かしい、あの北海道に行っているんだね。お土産話をしてもらわなくっちゃ。早く帰ってこないかな。
今週は、僕は一人でお留守番だ。
1995年9月
SSさん、SKさん帰宅。乗馬クラブにやって来た。でもって、北海道のお土産話をしてくれた。
SSさん:「マヨちゃん。新井昭二さんの牧場に行ってきたわよ!色々、お話を聞けてよかったあ。貴方の、生まれた馬房を見せていただいて、生まれた時の様子なんかを聞かせてもらったわよ。貴方は、幼名ウイングという名前だったのよ。ちゃんと名前を貰っていたのね。ホントに感激。
牧場の方もいい人たちで、歓迎してくれたわ。お母さんのミヤシロパークは残念ながら、もういなかったけど。お父さんの、ミヤシロオーは近くの貞広牧場まで連れていってくれて見せてもらったよ。栗毛の元気な馬だったわ。
そうそう、貴方の全兄弟のお姉さん、ドラゴンエフという馬がいるんだって、教えてもらって会いに行ったわよ。新井さんも、何とか自分の牧場に戻したかったんだけど、行き違いで他の牧場に行ってしまったって残念がっていたわ。鵡川の牧場まで行って、会ってきたのよ。毛色は違うけど、笑っちゃうくらい貴方と、顔も性格もそっくりだったあ。ふふふ...」
なんだあ、そんなこと僕知ってるよ、僕の事だもの。
でも、お二人さん、ホントに嬉しそうだった。僕の生い立ちが分かって嬉しいんだろうな。乗馬クラブの馬で身元が分かる馬ってあまりいないらしいよ。馬の健康手帳というのがあって、それに血統とか、生年月日とか書いてあるらしいけど、一般の人にはあまり見せてくれないそうだし、経歴を消されていたりする馬もいるらしい。まあ、人間のやることは僕には良く理解できないけど...