5.ころんじゃった
1993年4月
僕たち馬が極度の怖がりなのは知っていると思うけど。先日、乗馬クラブの外を人間の子供たちがぞろぞろ、ぞろぞろ歩いていたんだ。あれは恐かったなあ。100人くらいのちっちゃな子供たちがみな、黄色い帽子をかぶって柵の外をぞろぞろ歩いてるんだもの、あんなの初めて見た。僕は肢がすくんで、乗っていたSKさんが制止するのも聞かず一目散に厩舎の方に逃げていってしまったんだよ。まったく、遠足なんて変なことこんな所でしないでよね。僕たち馬は怖がりなんだから。
1993年5月
僕は雨がきらいなんだ。雨が降っているのは気にならないけど、雨が降った後の水溜まりが嫌いなんだよ。特に乗馬クラブはたくさんの馬が毎日運動しているので、時々砂を入れても、あちこち大きな水溜まりができてぬかるむし、でこぼこで肢をとられるのでいやなんだ。この前は指導員のKTさんが、雨の中を無理矢理僕に乗ろうとしたから水溜まりの前でひょいと方向を変えてやったら、驚いていたよ。KTさんは僕が雨を嫌いなので、そんな癖をつけまいと必死だったんだろうけど、そうそう性格は変わらないや。
それでもって、遂にやってしまった。「人馬転」てやつ。人馬転とは馬と人が一緒に転ぶことなんだ。僕も痛かったけど、SKさんはもっと痛かっただろう。雨降り後の、乾きはじめのでこぼこ馬場だったんだけど、僕の前肢がでこぼこにけつまづいて左側に横倒しになったんだ。SKさんは初めてのことで、思わず左手を出して体を支えたんだね。自分と僕の体重を左手だけで支えるのはどだい無理が有る。どうも左手首を傷めてしまったらしく、ずっと左手を押さえていたSKさん。でも、SKさんが立ち上がっての第一声は「馬は大丈夫か?」だったんだ、ありがとう。大急ぎで僕たちに駆け寄ってきた、クラブのスタッフとSSさんに大丈夫と言っていたけど顔は蒼白だった。飛んできたSSさんも、「人間はとにかく、馬は大丈夫?」とスタッフに尋ねていた。僕の体は大丈夫、何ともなかった。初めての経験で精神的ショックはあったけど...こんなに大事にしてくれてありがとうね、みんな。
SKさんはしきりに「自分の腕が未熟だったんだ」と僕を気遣ってくれたけど、僕もいやいや駈足をしてたから気の緩みがあったのかもしれない。この後、帰るのに左手が痛いので車のシフトノブを動かせないから、スタッフが車を運転すると言ってたけど、どうもSKさん自分で運転して帰ったらしい。隣に座ったSSさんにシフトを動かしてもらって帰ったみたいだ。根性あるね。
1週間後、クラブに現れたSKさんは左手にギプスをしていた。結局、左手首の骨折と、小指の付け根にひびが入ったらしい。僕も反省してます。これから1ヶ月半は僕とSSさんだけの乗馬になっちゃうね。
1993年7月
SKさんの左手の骨折も癒えて、普段どおりの生活に戻った。でも、乗馬クラブっておかしな所だね。特にスタッフの面白さったら他にないよ。みんな、宴会が大好きなのか、クラブの会員さんを楽しませてくれるよ。この前は乗馬祭で、仮装してスタッフが馬に乗ったんだけど、指導員のKTさんなんかおかしな格好で大笑いだった。楽しいね。右の写真のドレスを着ている人は、実は男性だよ。馬たちも最初はびっくりして浮き足立っちゃうけど慣れてきたら一緒になって楽しんでいるみたいだ。乗馬クラブの生活も悪くはないなと思う今日この頃だ。
1993年7月末
SKさんテンキンだ、テンキンだってみんなと話してる。テ・ン・キ・ン?テンキンってなによ?人間世界のことはさっぱり分からない。SKさん、SSさんと、指導員のKTさん、所長さんの会話ではトーブ、チバなんて言葉を連発しているけど、トーブ、チバってなによ?いったい何があるのかなあ。誰か、僕に説明してくれないかしら。もしかして、りんごの一種?
1993年8月15日
SKさん、SSさんが僕に「お別れだね。」って言っている。うそ!どこかに行っちゃうの?え、そんな。僕をおいて行っちゃうのかい?せっかく、お友達になったのにもうお別れかしら。今日はいつにも増して、大好物のりんごや、人参を沢山持ってくるなと思ったら、そうかそういう事だったのか。まあ、大好物だから食べてやるけど、お別れは辛いよお二人さん。ま、いいか。
乗馬クラブにはなぜだか、犬や猫が飼われている。でも実は捨てられた犬や猫ばかりなんだ。乗馬クラブなら飼ってくれるだろうと捨てていく人が多いらしい。困ったもんだよ。クラブの小犬たちもSSさん、SKさんとお別れがわかっているのかな。寂しそうだ。特にSSさんは大の犬好きで、よく犬達を可愛がっていたもの。
1993年8月20日
あれーぇ。クラブにでかい馬運車が入ってきたぞ。誰か、新しい馬が来たのかなあ。それとも誰かが連れて行かれるのかなあ。僕はあの馬運車って大嫌いなんだよ。ほんとに北海道から始まってあっちこっち移動させてくれるんだけど、人間達は僕をどこに連れて行くなんて一言も言ってくれない。行き先も分からず車に積まれる馬の身になってみてよ。行き着く先は、終着駅なんていやだよ。まるで囚人みたいだもの。実は人間達の会話で、行き先らしいところは分かるんだけど、どこにも行った事ないし。園田だけは新井さんや仲間から教えてもらってたから、どんな所か想像できたけど...
あらら。KTさんと所長さんが僕の馬房にやってきた。まさか、自分?
KTさん:「マヨちゃん。あんたこれから関東に移動だよ。元気でな。千葉は馬が多いからけんかするなよ。あっちで腹こわすなよ。さみしなるなーほんま。元気でがんばるんだよ。ほならな」
えーまた移動するのかあ。馬運車で?憂鬱だなあ。今年の2月にここに来たばかりなのにもう、移動するの?嫌になっちゃうなあ。で、カントウってどこよ、チバってどこよ。だれが僕のオーナーになるのよ。またワケ分からない。まったくもう...