3.出会い
1993年2月
またまた、馬運車に乗せられた。2年前、北海道から園田競馬場まではほんとに長旅で疲れたけど、今回は三重県の名張の近くらしいから、そんなに時間はかからないだろう。でも、人間達は車の中に座ったり、寝そべっていればいいけれど、僕たち馬はあの狭い馬運車の中の限られた空間に立ったままでいなくちゃいけない。中央競馬会が使っている馬運車はでっかくて、空調も効いていて乗り心地もよさそうだけど、結局僕たち馬は狭い中で囲われていることに変わりはない。何度乗っても馬運車なんて好きになれないなあ。聞くところによると競馬のために栗東から東京まで運ばれると輸送疲れで体重が減ってしまって競馬にならない馬もいるらしい。まあ馬も十馬(人)十色、車に酔いやすい馬もいるだろうな。特にデリケートな牝馬には。今回僕が乗ったのは中型の馬運車で馬が6頭乗れるやつだ。でも、乗馬クラブに行くのは僕だけだから寂しく一頭だけ乗せられた。
夕方、日が暮れる前に乗馬クラブに到着した。先日、僕に乗ってくれたA所長さんが出迎えてくれた。馬運車から降ろされると、さっそくスタッフの人が僕の体にブラシをあててくれた。僕は首すじと背中にブラシをあてられると弱いのだ。でも最初から弱みを見せるとつけこまれちゃうので、ここはぐっと我慢して平気な顔で通した。しばらくしてからAさんが僕にスタッフを紹介してくれた。僕の担当はのっぽのO兄さんだそうだ。明日から早速乗って訓練するよと、僕の耳元でささやいていた。お隣にいる小柄で真っ黒な顔をしたのがKT姉さん。僕の世話をしてくれるそうだ。それにしてもこのKTさん、小さい体でも元気だなあ。僕にガンガン話し掛けてくる。僕にあてがわれた厩舎は古いけど、周りには同じ乗馬仲間が30頭あまり、乗馬クラブの水に早く慣れるように頑張ろうっと。
1993年2月28日(日)
今日は、僕のオーナーになる人と初対面だ。僕は厩舎直結の装鞍所、兼洗い場に繋がれて待機。僕も5歳、おととい誕生日だったから、満では4歳だ。人間なら20歳位だから、身だしなみにも気をつけなくっちゃ。朝からKTさんが僕のたてがみやしっぽにクシをあててくれたけど、所詮は短いので格好良くはならないな。競馬場では毛を伸ばしてくれなかったので短いままだ。しばらく待っているとKTさんが背の高い人と、小柄な男女を連れてきた。でもこの2人は僕の前を通り過ぎてしまいそうになる。慌ててKTさんが呼び止める:「この仔やで。この仔が今日からあんたらの馬やで。」
呼び止められた二人が振り返る。男の人はポケッとした顔で僕の方を見つめている。女の人は途端に笑顔になってKTさんに話し掛けている。男の人はSKさん、女の人はSSさんというそうだ。
SSさん:「あれ?この仔?どこぞの会有馬(クラブの持ち馬で、レッスンに使用される馬)かと思ったわ。でも、尾花栗毛じゃないわよ」
KTさん:「何言ってんの。可愛い若馬じゃないの。こんな若い馬を自馬にできるなんて幸せだよ。尾花栗毛なんてそうそう居るもんじゃないのよ」
SSさん:「それにしても、たてがみはちじれっ毛で短いし、前髪はペロっとして、まるで演歌歌手のようだわ」
KTさん:「それはヒドイことを言うじゃない。で、名前はどうするの?」
SSさん:「そうね。わかったわ。この仔を一生面倒見るわよ。実は話があってから1ヶ月間悩みに悩んでやっと名前を思い付いたのよ。何だか分からないけど「マ・・・」ちゃんと呼びたいと思って、「マ」の付く名前を手当たり次第に考えてほんとに疲れたわ。では、発表します「マイヨジョーヌ」です」
KTさん:「ああそう。マヨネーズか(笑い)」
SSさん:「マヨちゃんだよ」
今日から僕の名前は「マイヨジョーヌ」だって。聞くところによるとフランスで行われる世界最大の自転車レース「ツール・ド・フランス」で通算で1番タイムが少なく、トップを走っている選手が着る服のことを「マイヨジョーヌ(maillot jaune:黄色いジャージ)」と呼ぶそうだ。そんな名前をつけられたら馬装は全身黄色で統一しなくっちゃ。
早速、二人のオーナーSKさん、SSさんが僕に試乗することになった。最初は指導員のOさんが僕に乗って、足慣らし。乗りながら自馬についての乗馬の注意点を説明している。
Oさん:「会有馬は毎日、色々なレベルの人が乗るので、馬自体がレッスンの内容を覚えていて、周りが走れば連れて走る、止まれば一緒に止まると、オートマチックになっています。また、毎日ガンガン拍車を入れられるので足の指示に対して鈍感です。反対に自馬は乗る人が限定されるので、乗る人の軽い指示でも反応するようになるけど、そこまで到達するまでに確実な指示と調教が要求されるんですよ」
先ず、SKさんが僕に乗った。体重70kg超でチョット重いけどがまんするか。聞くところによると乗馬を始めてまだ1年だそうだ。それくらいで僕を乗りこなせると思ったら大間違いだよ。Oさんから、ふくらはぎから下に力を入れて脚(きゃく)を使うように言われて、一生懸命やっているので、まあ動いてやるか。まず常走(なみあし)で歩き出してやったよ。SKさんは脚を締めただけで僕が動き出したので驚いたようすだ。いつもは踵を使って馬をガンガン蹴っているのだろう。常走から軽速走(けいはやあし)まで動いてやったが、上ではSKさんがふうふう言いながら一生懸命になっているのが手に取るように分かる。
次はSSさん。こちらは軽いや。競馬の騎手と同じくらいの体重だな。あの〜、馬の上に乗って体を動かしてばかりじゃあダメよ。そんなに暴れちゃあ、僕、やる気無くしちゃうよ。こちらも、まだまだ僕に乗るのは十年早いって感じだな。リンゴを持ってきたら言うこと聞いたげるよ。あ!ニンジンもね。オーナーさん毎週来るって言ってたよ。でも、一生面倒見るって、信じていいのかなあ...