1.誕生

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1989年2月26日(日)

あれ!?ここはどこだろう。さっきからこんなに窮屈なところで肢を引っ張られて痛いと思っていたら、突然薄ら寒いところに出てきてしまった。う〜寒い。寒いから運動しなくちゃ。運動するにはどうしたらいいのかしら。まず体を起してと。それから前肢を突っ張って、よいしょ。なんだか体がふらつくなあ。やっと、安定してきたぞ。ところでさっきから僕を見ている変な格好の奴等がいるなあ。何だあ。後肢だけで立ってらあ。変なの。何か言ってるぞ...どれどれ。

男:「やったあ。雄馬だあ。パーク(訳者注:母のミヤシロパークのこと)やったな。去年もおととしも雌馬だったからな。これは楽しみだ。ほれほれお前、はやく母さんのオッパイを飲みなさい」

父ミヤシロオーうへー。このひとだれ?おかあさん。

パーク:「アライショウジサンダヨ(訳者注:読みにくいので以下はひらがなと漢字にします)。この牧場の親分だよ。それからもう一人そこにいる人は親分の子分じゃなくて娘さんだよ。あ、となりは姉御じゃなくて、親分の奥さんだ。あ、お姉さんもいる。みんな総出でおまえの誕生を喜んでいるみたいだね。さあオッパイを飲みなさい。これは初乳といって、生まれた仔馬にはとっても大事なものだからね。いろんな病原菌からお前を守ってくれるんだよ。さあ早く...」

はい...

−訳者注:早速、母乳を飲んだ仔馬は父ミヤシロオー(門別:貞廣牧場に繋養中)、母ミヤシロパークのアングロアラブの牡馬である。父ミヤシロオーは父スカレー母ダライラマという配合で、スカレーは名種牡馬キタノトウザイを筆頭産駒として数々の名馬を輩出、ダライラマはブルーバードCなど10勝の女傑であり、兄弟にアラブ3冠ガバナスカレーなど3頭の重賞勝ち馬がいる超良血である。母ミヤシロパークは2代母バルセローナ、母グラナダという牝系で、これも良血。バルセローナの系列からは数々の重賞勝ち馬を輩出している。生産者の仔馬への期待は大きいのである。


1989年春

春とはいっても、ここ北海道門別はまだまだ寒い。外にはまだ雪が残っている。しかし、僕たち馬は寒いのなんかへっちゃら。皆で外に出て走り回るのが大好きだ。新井さんの娘さんが僕に名前をつけてくれた。「ウイング」だって。なんだか恥ずかしいや。仲間に聞くと、牧場の人間がわざわざ馬に名前をつけるのは、それなりに期待をしているからなんだって。どうも僕のお母さんのおばあさんは、バルセローナといって名牝だったらしい。それにお父さんも、お母さんがダライラマといってすごい馬だったらしいし、なんだか人間たちの期待がずっしりと両肩にのしかかって来るみたいだ。4つ年上のドラゴンエフお姉さんも、金沢で華々しい活躍をしているって人間たちが言ってたぞ。何でも、僕なら売れば1千万円はするなんて言ってる。イッセンマンエンって何だろう。それで牧草を腹一杯食べられるのかしら。僕はえん麦が好きだなあ。

まあ、ともあれ僕は僕の道を行くだけさ。


1989年夏

大変だ。何だか新井昭二さんと娘さん達がひそひそと眉をひそめて話してる。何やら、僕の前肢が曲がってきたって...この肢のどこがいけないのだろう。(と、下を見る)やっぱり、ちょっと肢が外を向いてるのかなあ。でも、走るにはどうってこと無いけどなあ。新井昭二さんが僕の側にやって来て、あきらめ声でつぶやいてたけど、競走馬は肢がまっすぐでないとだめなんだって。曲がっていると負担がかかってしまうので、全能力を出し切れなくて、故障になったりするんだって。僕のお母さんが生む仔は皆、肢が曲がって来るそうで、しきりに残念がっていたよ。だって、僕の責任じゃないもの。しょうがないじゃない。


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